もうひとつの喜名観音堂まつり【原発のこと】

♪ukiuki♪

2011年10月12日 22:42

さて、行くぞ!


音楽祭
大友さんと福岡さんの演奏が始まると、
出店が閑散とするほど、
新しいテントが建てられるほどに、
みんなシーンと静まり返り聴いてくださっていました。

ここまで、
世間の激流の中、
彼女たちの招致があり、
眠れなくなる日々もありましたが、

前日のリハの音に駆けつけてくれた近所の方々、
リハに寄せられる大きな拍手。

当日の状態を見たらなおさらのこと、
彼女たちを誘ってよかったと思えました。

何よりも、
演奏終了後の彼女らの顔が
ぱっと明るくなったことは、何よりもうれしかったです。

これからの一時移住。
これからの共生。

今まで何度か彼女らに伝えてきた
「沖縄の痛み」を理解してほしいという話も、
タイムスの記事からは
十分に彼女らの心にも理解されたと感じられ、
なおさらうれしかったです。


原発
被爆
避難
移住

この流れは、津波被害の人たちとはまた違った側面を持ちます。

(もちろん、上記プラス津波、損壊、仮設などが重なっているケースがあるのも承知していますが、今は、大半の人を語るに、少し大まかに話します)


私は、沖縄の基地問題、(特に)福島の原発問題とは
重なり感じあるところがあります。

ブログで書き綴るには
難しすぎるのですが、・・・・・・・・・・

福島以外の地域からの原発避難の方々でも、
沖縄に来る前に、
どうぞ、沖縄が今まで66年間
誰もがほしくないという基地を
全体の75%も抱えてきたことをわかってほしいのです。

私たちが笑っているから
他の都道府県の方々は気がつかないというのですか?

私たちが笑っているのは
怒っていないようにように見えるのでしょうか?

今回の大震災により起きた原発事故で、
みんな誰もが好まない「命の危機」が
自分の隣人として居座る可能性のあることを実感したことでしょう。

沖縄の人間は、それでもどこにも行かずにここにいました。
暮らしてきました。
自分の先祖をあやめたかもしれない同じ民族と
同じ町に住んでいます。









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